つくばリサイタルシリーズ公式ブログ

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曲目紹介No.2 モーツァルト:ディヴェルティメント K.136 ニ長調

今回はW.A.モーツァルト作曲、ディヴェルティメント K.136 ニ長調を紹介をしたいと思います。

モーツァルトの生年は1756年の1月であり、ディヴェルティメント K.136 ニ長調が作曲されたのは1772年の1月〜3月頃です。つまり、モーツァルトはこの曲を齢16歳(現在の日本における高校1年生の年頃)で作曲しています。そもそもモーツァルトは、5歳で初めて作曲をし、6歳の時点で父親レオポルドに連れられて演奏旅行を開始してオーストリア皇帝マリア・テレジアの前でピアノの演奏を行うなどをしていたのですから、驚くべき早熟です。その背景にはモーツァルトを天才少年として売ろうとする父親レオポルドの思惑が関係していたとも言われています。

16歳の作曲当時のモーツァルトは何をしていたかというと、父親との2回目のイタリア旅行を終えて故郷のザルツブルクで宮廷音楽家として仕事をしながら、3回目のイタリア旅行の準備をしていました。モーツァルトがこの時期に何度もイタリア旅行を行なっているのは、オペラの本場であったイタリアで才能を示し、ザルツブルクの宮廷音楽家よりも良い就職先を見つけるためだと言われています。しかし、就職活動はうまくいかず、結局は数年の間モーツァルトザルツブルクの宮廷音楽家の地位に留まります。次第にモーツァルトは、当時のザルツブルク大司教で彼を宮廷音楽家として雇っていたコロレドと険悪な関係になっていき、21歳で宮廷音楽家を辞職、その後一旦復職するものの25歳のときにはコロレド及び父親レオポルドと決裂、再び宮廷音楽家を辞職してザルツブルクを離れウィーンに引っ越してしまいます。モーツァルトは故郷であるザルツブルクのことをあまりよく思っていなかったようです。

とはいえ、ウィーンやパリなどの大都市には劣るものの、当時のザルツブルクには豊かな音楽的土壌がありました。オペラやオラトリオが盛んに上演されたし、古典派を代表する作曲家であるハイドンの弟、ミヒャエル・ハイドンなどの音楽家が活躍していました。ディヴェルティメント ニ長調 K.136にはミヒャエル・ハイドンの影響が指摘されています。

ところで、「ディヴェルティメント」とはどのような意味でしょうか。ディヴェルティメントとは「楽しむ」「気晴らし」を意味するイタリア語divertireに由来する器楽組曲のことで、日本語では嬉遊曲などと訳されます。富裕貴族の社交や祝賀のための音楽であり、明るい曲調であることが一貫しています。楽器編成に指定はなく、モーツァルトは生涯でさまざまな楽器編成のディヴェルティメントを作曲しています。今回紹介するディヴェルティメント K.136 ニ長調はヴァイオリン2部、ヴィオラ、バス(チェロ)という編成が指定されています。以下、各楽章を紹介します。

 

第1楽章 アレグロ ニ長調 4分の4拍子。

快活でチャーミングな第1ヴァイオリンの第1主題から始まり、これに第2主題が続いて反復します。その後、展開部では第1主題の音型が出てきて短調になり、第2ヴァイオリンの16分音符の刻みのうえで第1ヴァイオリンが独奏的な動きをします。そして再び元の調の第1主題、第2主題が戻ってきて、最後は静かに楽章が終わります。

第2楽章 アンダンテ ト長調 4分の3拍子。

穏やかに踊るような第1主題があらわれ、これに2つの副主題が続きます。途中わずか6小節の展開部に移ったのち、再び冒頭の主題に戻ります。

第3楽章 プレスト ニ長調 4分の2拍子。

16分音符の跳ねるような序奏に、軽快で明るい第1主題と第2主題が続きます。その後、展開部では、それぞれの楽器が追いかけっこをするように(フーガ的に)動きます。そして再び冒頭の主題に戻り、勢いを残したまま力強く曲を終えます。

https://youtu.be/E_GT8CPcIkg

(参考文献)

•『作曲家別名曲解説ライブラリー13モーツァルト I』音楽之友社、1993年

•西川尚生『作曲家◎人と作品シリーズ モーツァルト音楽之友社、2005年

•西原稔『新版クラシックでわかる世界史 時代を生きた作曲家、歴史を変えた名曲』アルテスパブリッシング、2017年

文責:勝俣陸